いきなりの旅立ち
長きにわたり闘病を続けてきた夫が旅立ちました。
余命宣告を受けてから夫婦で家族でどういう治療をするか話し合いました。
抗がん剤治療をしても余命が伸びる可能性はあまりないとのことで
元気に動けるうちにしたいことをするという余命の生き方の選択になりました。
その後はどういう葬儀をするかを夫婦で話し合いました。
夫の母が昨年の2月末に亡くなって兄が葬儀を取り仕切ったのを見て
夫は自分は本当の家族葬でいい。
昨日、今日と参列していただいたのは兄夫婦、私の妹夫婦、弟と母。
そして娘と姉妹孫たちです。
土曜日の夕方に家で倒れて救急車を呼んだのですが道の入口が夫の元上司の家です。
しっかり道まで出てきて誰かに知らせるなら手伝うと言葉をいただきました。
もうちゃんと知らせは自分でできますとお断りしました。
結局、救命処置をしていただきましたが旅立ってしまいました。
家族葬をする葬祭場に病院から直に入り翌日、通夜、そして今日の告別式の流れになりました。
外に案内版を立てないこと、もし問い合わせがあってもお断りをすることをお願いしました。
しかし、入り口の元上司の口伝に動ける人が市内の葬儀場を回り
たまたま、駐車場で荷物の出し入れをしていた兄を見つけられてしまいました。
故人の遺志ですので家族葬で執り行いますので参列はお断りしますと伝えてくださいと言ってくれました。
そして通夜の日の夜に前に行っていたスポーツクラブの友人たちと合同送別会があり
金曜日に夫が高熱を出したのでとお断りしてました。
土曜日、日曜日の朝と夫の体調を気遣うラインを3人からいただいたのですが返事が出来ません。
今朝、その友人の一人が兄の携帯電話を知っているので私も含めてラインが既読にさえならない。
近所の人のいうことでは救急車が来たとのことで大丈夫かと聞いてきた。
とぼけてもらったそうですが娘から嘘ついておこらるのも参列を断っておこらられるのも同じだからラインの返事はまた連絡しますとでも入れたらと言われました。
3人にまた連絡しますとラインしたら深くは聞いてきませんでした。
夫の希望通りの家族葬で暖かい葬儀で送ることができました。
参列者が10名ほどならこの祭壇と供物で夫の望んだ簡素ながら満足できる規模でした。
夫の死亡原因はその日の担当内科医はガン末期による死亡としか言えません。
CTもかけましたが外的要因、頭内出血、心不全、肺炎、誤嚥などの明確な所見はないとのことでした。
いろんなリンパ節への転移、肺への転移もかなり多くなってました。
11月末の検診で余命3ヶ月と言われてそれから時々口にし始めたのは暖かくなるまでは無理かな。
お正月明けからは1月いっぱいもつかな。
私は家で自分のことは全部していたので緩和ケア病棟に入る状態になることだと思ってました。
事実、あと半月ぐらいしたら家にいたいと言っても緩和ケアへの入院を勧めてました。
娘が言いました。
どんどん、ひどくなるのにすごく頑張っていた。
日々、一緒に過ごしている私は鈍感になっていたのかもしれません。
夫はともかく病院に行きたくなかったのでぎりぎりまで私に弱音を見せてなかったのでしょうね。
たった10日前の弱音がそんなに重大な告白だったなんて気づいてませんでした。
いえ、解っていたけど夫の言葉を待ってました。
どうにもならない所まで家にいたい。
その思いがかなって旅立った夫は満足してもらえたでしょうか。
それはもう聞くことはできません。
緩和ケアで痛みの調整のために10日間入院した時に他の方の状態を見ました。
そのことでより入院したくないと感じたのかもしれません。
ともかく無理をしても私には迷惑をかけない状態で家にいたい。
本当に最後まで頑張り屋の夫でした。
昨年母(姑)を亡くし夫を亡くし90才の父(舅)老健施設入所中が残りました。
父は今年のインフルエンザ騒動でかなり弱ってきています。
夫の余命宣告も伝えてありましたがやはり高齢と認知症が進んでいるのか
昨日兄が伝えたけれど覚えていなくてショックを受けたそうです。
このブログは今日を持って終了をさせていただきます。
私の忘備録としてのブログです。
でも同じ苦しみの方がご覧になってこういうのもあるのね。
それが参考になるかはわかりません。
では ありがとうございました。
余命宣告を受けてから夫婦で家族でどういう治療をするか話し合いました。
抗がん剤治療をしても余命が伸びる可能性はあまりないとのことで
元気に動けるうちにしたいことをするという余命の生き方の選択になりました。
その後はどういう葬儀をするかを夫婦で話し合いました。
夫の母が昨年の2月末に亡くなって兄が葬儀を取り仕切ったのを見て
夫は自分は本当の家族葬でいい。
昨日、今日と参列していただいたのは兄夫婦、私の妹夫婦、弟と母。
そして娘と姉妹孫たちです。
土曜日の夕方に家で倒れて救急車を呼んだのですが道の入口が夫の元上司の家です。
しっかり道まで出てきて誰かに知らせるなら手伝うと言葉をいただきました。
もうちゃんと知らせは自分でできますとお断りしました。
結局、救命処置をしていただきましたが旅立ってしまいました。
家族葬をする葬祭場に病院から直に入り翌日、通夜、そして今日の告別式の流れになりました。
外に案内版を立てないこと、もし問い合わせがあってもお断りをすることをお願いしました。
しかし、入り口の元上司の口伝に動ける人が市内の葬儀場を回り
たまたま、駐車場で荷物の出し入れをしていた兄を見つけられてしまいました。
故人の遺志ですので家族葬で執り行いますので参列はお断りしますと伝えてくださいと言ってくれました。
そして通夜の日の夜に前に行っていたスポーツクラブの友人たちと合同送別会があり
金曜日に夫が高熱を出したのでとお断りしてました。
土曜日、日曜日の朝と夫の体調を気遣うラインを3人からいただいたのですが返事が出来ません。
今朝、その友人の一人が兄の携帯電話を知っているので私も含めてラインが既読にさえならない。
近所の人のいうことでは救急車が来たとのことで大丈夫かと聞いてきた。
とぼけてもらったそうですが娘から嘘ついておこらるのも参列を断っておこらられるのも同じだからラインの返事はまた連絡しますとでも入れたらと言われました。
3人にまた連絡しますとラインしたら深くは聞いてきませんでした。
夫の希望通りの家族葬で暖かい葬儀で送ることができました。
参列者が10名ほどならこの祭壇と供物で夫の望んだ簡素ながら満足できる規模でした。
夫の死亡原因はその日の担当内科医はガン末期による死亡としか言えません。
CTもかけましたが外的要因、頭内出血、心不全、肺炎、誤嚥などの明確な所見はないとのことでした。
いろんなリンパ節への転移、肺への転移もかなり多くなってました。
11月末の検診で余命3ヶ月と言われてそれから時々口にし始めたのは暖かくなるまでは無理かな。
お正月明けからは1月いっぱいもつかな。
私は家で自分のことは全部していたので緩和ケア病棟に入る状態になることだと思ってました。
事実、あと半月ぐらいしたら家にいたいと言っても緩和ケアへの入院を勧めてました。
娘が言いました。
どんどん、ひどくなるのにすごく頑張っていた。
日々、一緒に過ごしている私は鈍感になっていたのかもしれません。
夫はともかく病院に行きたくなかったのでぎりぎりまで私に弱音を見せてなかったのでしょうね。
たった10日前の弱音がそんなに重大な告白だったなんて気づいてませんでした。
いえ、解っていたけど夫の言葉を待ってました。
どうにもならない所まで家にいたい。
その思いがかなって旅立った夫は満足してもらえたでしょうか。
それはもう聞くことはできません。
緩和ケアで痛みの調整のために10日間入院した時に他の方の状態を見ました。
そのことでより入院したくないと感じたのかもしれません。
ともかく無理をしても私には迷惑をかけない状態で家にいたい。
本当に最後まで頑張り屋の夫でした。
昨年母(姑)を亡くし夫を亡くし90才の父(舅)老健施設入所中が残りました。
父は今年のインフルエンザ騒動でかなり弱ってきています。
夫の余命宣告も伝えてありましたがやはり高齢と認知症が進んでいるのか
昨日兄が伝えたけれど覚えていなくてショックを受けたそうです。
このブログは今日を持って終了をさせていただきます。
私の忘備録としてのブログです。
でも同じ苦しみの方がご覧になってこういうのもあるのね。
それが参考になるかはわかりません。
では ありがとうございました。
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